軽井澤工房店に飾られている 私の「相棒」、ご存じですか
こんにちは。土屋鞄製造所の創業者で職人の土屋國男です。 私が修行先から独立し、自宅に併設した工房でランドセルづくりを始めたのは1965年のこと。今からもう、60年近くも昔の話です。 85歳を迎えた今も仕事場が大好きで、今でも毎日のように出向いては、家族のような職人やスタッフたちの姿を見守っています。今のように若い職人を育てるようにしたのは30年ほど前ですが、そのころから、自然と「お父さん」と呼ばれるようになりました。私も本当の息子や娘たちのように思っているので、いつ聞いてもうれしい言葉ですね。 今日はそんな私から、60年近い時間をともに歩んだ相棒を紹介したいと思います。少しばかり長くなりますが、お付き合いいただけますとうれしいです。
工房を支え続けた、特別な一台
みなさまの中で、土屋鞄製造所の軽井澤工房店に行かれたことのある方はいらっしゃいますか。実はそこに一台、年季の入ったミシンが飾られています。親方のもとで修行を積み、職人として独立を果たした1965年。ランドセルづくりを始めた私の自宅併設の工房で、活気のある振動音を響かせていたのがこのミシンでした。独立の時に、親方が修行先の工房で使っていたミシンを1台、持たせてくれたものです。ダダダダ…ガシャンガシャン…今でもこの相棒の前で耳を澄ますとあのころの懐かしい音が聞こえ、手を添えると心地良い振動がよみがえってきます。
それは60年前の当時でも少し古い、足踏み型のミシンでした。親方はそれにわざわざモーターをつけてくれ、ランドセルをつくりやすいよう改良した形で贈ってくださったのです。僕を思ってくれたその気配りが、とてもうれしかったですね。それから僕自身でもより使いやすいように改良したり、手を入れたりしました。いただいた時でもすでにそれなりに年季が入っていたのに、ずいぶん長いこと活躍してくれましてね。少しずつ工房も大きくなってミシンの台数も増えていきましたが、私にとっては変わらず、特別な一台です。
今は、家族の特別な時間を見守って
何年前のことでしたかね。「もう、休ませてあげてもいいかな」と思ったんですよ。ちょっと寂しかったですけど、最後に感謝を込めて丁寧に掃除をし、軽井沢のお店で飾ることにしました。たまに軽井沢のお店に寄ってこのミシンと再会すると、僕に語りかけてくれるような気がしましてね。親方が僕のランドセルづくりを見守り続けてくれたように、僕と一緒に長年頑張ってくれたこのミシンが今はご家族のランドセル選びという特別な時間を、そして土屋鞄を、見守ってくれています。軽井澤工房店にお立ち寄りの折には、ぜひ、このミシンにも会いに来てくださいね。60年間刻み続けてきたステッチの音が隅々まで染み込んだ、私の無二の相棒です。そして、「あ、本当にモーターがついている」なんて発見してもらえたら、うれしいですね。